映画「亜人」 感想
小雨降りしきる中、11時の回の30分前に映画館へ出発したのに、渋滞のせいで間に合わなかったので13時の回を観に行きました。
観客は私以外、老夫婦と若い女性2名の、計5名しかいませんでした。翌日が割引デーだったり、月曜の昼なので仕方ないと言えば仕方ないかな。
観るにあたって現行の単行本11巻はすべて読みました。
ただし私の漫画への評価自体はそれほど高くなく、長期連載にありがちな「佐藤を殺せそうで殺せない」を無限に繰り返しそうな漫画だなと思いました。
アクションも漫画という媒体に落とし込めると、銃撃戦とそれを雑になぎ倒す亜人の黒い幽霊のバトルみたいな絵面が多く、正直なんでこれがこんなに人気あるのかは理解できませんでした。
死なない人間同士の戦いなので敵を倒すためには騙しあいが必要で、それが面白いとは言いますが、大抵のトリックは想像の範囲内で、「おお、これすげえ!」みたいに思う展開は無かった。ただ佐藤が左手を料理して送り付けて転送するあたりの展開は、なんで? て思ったら「だからさー、亜人てのはこういうんだよ」みたいな後付け設定が来たりとかして、「ええ…」ってなりました。それは伏線として序盤にやっとけよ。
というか佐藤は臓器を売買して金を稼いでる描写があって、私は自分の臓器を切り売りしているんだと解釈していたんで、明らかに手より大きい肝臓を分離している事実が無視されているんじゃないのかな……って思いました。てことは佐藤は本当にその辺の人間をふんづかまえて臓器を切り売りしてるんでしょうかね。
いちおう11巻末から始まる展開で終わるとは思うんですが、たぶん紙の単行本が売れないご時世なので21世紀少年ばりにうすーくうすーく伸ばした漫画になりそうと思いました。
あと、やっぱ何度読んでも「これは夢だ!」は本当にひどいよ。ビビってるってことを書きたかったんだろうけどもっとやり方あったと思う。
・俳優について
綾野剛の佐藤は本当にはまり役だった。
最初綾野剛が佐藤って聞いたとき、漫画の中では初老の男風のイメージがあったので、綾野剛で佐藤は無理なんじゃねえのと思ってたんですが、どうやら私は綾野剛をなめていたようです。
インタビューでも「とにかく漫画のキャラクターに似せることに懸けている」とコメントしているように、確かにそこには佐藤がいました。
原作である程度展開は知っていても、とにかく次にこいつが何をするんだろうという緊迫感がすごかった。
漫画で頻出する、にこやかに笑いながら物騒なセリフを吐く(目はつむっているかにこやか)佐藤の表情を上手に表現した結果、あの顔はインパルスの板倉さんに似ていました。
いやこれは誉め言葉なんですが、インパルスの板倉さんが全力で満面の笑みを浮かべながら「お前を八裂きにするよ」って言ったら怖いでしょ。
そういう狂気をはらんだ演技は、見ていて怖いし不気味でした。
ずばり、綾野剛は佐藤でした。間違いなく。
では名前が佐藤な佐藤健(紛らわしい)演じる「永井圭」はどうだったのかというと、正直、佐藤健がやんなくてもよかったかなあ……って思いました。佐藤君は確かによく動ける俳優さんなのでしが、いかんせん映画向けにある程度設定がリセットされている「永井圭」を演じてることもあって、どう振舞ったら永井圭足りうるのかはだいぶ謎でした。演技力がないわけではないのですが、ちょっと佐藤健と永井圭はマッチしてはいなかったと思います。
同じくの川栄李奈演じる下村泉も、彼女の根底に宿る昏い部分とかは今回意図的に省かれてしまったせいもあって、いまいち感はぬぐえませんでした。
下村泉は高校生の頃に諸事情で家を飛び出て、身売りをしながら日銭を稼いでいたのですが、最後は衰弱死して自分が亜人と認識するに至るという、筆舌には尽くしがたい過去を持っているんですが、そこに裏打ちされた昏い部分と、社会経験のなさから少し抜けてる部分がある可愛いキャラクターなので、もう少しそこは出してほしかったです。
「口がスベった・・・・」はやるべきだった。
映画の構成上、どうしても佐藤VS永井の部分を映画化するために省かれてしまい、これが結果的に「なぜ彼女は亜人なのにほかの亜人と同様に人体実験されないのか」が説明されておらず、初見の人なら「戸崎のボディガード?」みたいな疑問符付きの解釈しかできないと思います。
・アクションシーンについて
アクションシーンは「リセット」のために味方同士が撃ち合ったり、自殺してケガを直したり、確かに今までにない映画のアクションシーンはそこにありました。しかし原作でも問題だった、「どっちがどっちの亜人の黒い幽霊(IBM)なのかわからない」点は余り解消できていませんでした。一応私は原作を読み込んで黒い幽霊の形状は誰が誰でというのは記憶していたし、CGも「ダークブラウン」と「黒」と「真っ黒」みたいな色分けもなされているんで大丈夫でしたが、おそらく初見では厳しいのではと思います。
全体的にスカッとするアクションシーンは少なめで、どっちかというと原作ではできていなかった「騙し合いのアクション」が出来ている場面がいくつかあって、「おお、日本のアクション映画も捨てたもんじゃないな」と思う所はいくつかありました。CGまみれだけど。
この映画の長所は本当にその二点に集約されていて、綾野剛の狂気じみた佐藤の演技と、独特のアクションシーン、ここにつきます。
佐藤と永井と、IBM2体の四どもえののアクションシーンは見ごたえがありますし、ちゃんと戦闘に至るロジックとして積んである部分がそれなりに成立した結果のオチではあったので、そこはよかったと思います。
・ダメだったところ
一方ダメなところは本当にダメな映画でした。
主人公二人以外のアクションシーンになると、少し粗が目立ちました、
川栄李奈に階段落ちが出来ないのは百歩譲っていいとしても、あまりにもそこだけスタントマンと代わったところを切り取ったような処理の仕方はちょっとどうかなと思います。仮にあれで本人が転げ落ちてたら申し訳ないんだけど、だったらもうちょっと顔映っていてよかったような。
ケリを入れるところでもかなり高いところまで足が上がるのは意外で、川栄李奈は頭脳はどうあれ、女優としてのステイタスや持っている潜在能力はとても高いとは思います。今後に期待したい。
田中役の城田優は田中というより「城田優」で出てしまってる感じが強く、あれを見て「田中?」と思わざるを得ませんでした。
玉山鉄二の戸崎さんに関しては、あまり言うことがありません。戸崎は原作で超法規的行動をしていた部分をカットしてしまったため、見せ場が無く、いい俳優さんを使ってるのにもったいないと思いました。
ストーリーに関しては原作の細かい部分をだいぶ大雑把に編集している感じは否めない反面、厚生省に飛行機をぶつけてくれたことに関しては「やったぜ佐藤!最高だぜ佐藤!何が消えた年金問題だ喰らえ糞役人どもヒャッハー!」ぐらいには思ってみていました。911テロを思い出した人には申し訳ないが、私にとってはこの上ない爽快な場面でしたね。
でもテロ予告で大臣が厚生省でスマホゲームやってるのはどうかと思うぞ、本広克行よ。そこは総理大臣とか官僚周りが無理やりふんじばってでも連れて行くところだろうよ。それに小学校に爆破予告がきたら休学になるようなご時世、テロ予告なんかかましたら普通半径3キロ圏内は立ち入り禁止処置とかすると思うんですけど。結構近いところに野次馬がいて、首をかしげました。
さらに厚生省に飛行機がぶつかったとして、その現場が書類まみれになるのかは謎である。この電子化の時代、その安直な発想はダセエって思いました。何年前のお役所なんだ。
脚本はどうなのかというと、本広克行ならではの原作に対して不誠実とすら感じる構成になっています。
まず妹がけっこう元気。
そもそも永井圭は妹の病気を治すために医者(研修医)になったという設定なのに、亜人に襲撃されて以降、ばあやの家に出たり街中歩いたり自分で買い物できるくらいには元気。
あれか、ちょっと重めの風邪か生理痛かなんかだったのか。
原作でもどんな病気か明かされていませんが、ベットから出ることが出来ず、ずっとベットの上にいる状態で出てきて、難病感は出ています。しかし映画ではあちこちに連れまわし、特に薬を投与されている場面もないため、「え、君元気じゃんよ…?なんで永井君は医者になったの?」と思わざるを得ませんでした。これは作中で永井に協力する中野攻という亜人が削除されてしまったため、道中佐藤の話を聞く役がいなくなってしまったことに起因しています。さらに言えば妹は兄は冷たい人間だというのですが、実際はばあやの家を飛び出して妹を助けにいったりするくらいには非合理的で感情的な人間であり、原作で見られた「佐藤なんか放っておけばいい」的な主張は全くしません。中野に対して「じゃあお前は何で海外にいかないんだよ」と言い放った場面に相当するものも存在しないため、永井のキャラクターがよくわからないまま進みます。
また、佐藤の設定変更、生まれたときに亜人で20年間殺され続けたという設定は、復讐の動機付けのためとしてはまあわかるんですか、それだと佐藤の黒い幽霊は原作だと生まれたときから亜人だった永井と同じレベルになるんじゃないの?という疑問は出てきて当然かなと思います。原作を読んでいるからこそ感じる疑問も多かったです。
全体的にはアクションの肝である黒い幽霊に対して細かい説明がなされていないため、よくわからないまま進み、結局一度も説明されないまま終わります。
佐藤の「これが亜人の能力だ」という身も蓋も糞も無い玉音があり、また、原作において頭と頭がぶつかると互いの意識や思考を共有し、理解し合うことが出来る部分もカットされているため、敵同士がお互いを理解したうえで戦う心理戦を描ける場面をふいにしています。
そのため、結局のところこの映画における黒い幽霊は「不便なスタンド(ジョジョのアレ)」くらいの意味しか成さず、斬新なアクションをする上でのガジェットでしかありませんでした。
千葉雄大演じる亜人は作中でも屈指のハッカーとして描かれているんですが、本広・君塚が踊る大捜査線で糞ほど見せた、「監督の脳内にある適当なハッカー」のイメージのままやってきます。相変わらずこいつはネットってやつが嫌いなんだなって思います。
最後の場面に至るプロセスも合理性がまったくなく、佐藤が「亜人自治区を東京に作らないなら毒ガスを全土に撒く。そのガスはフォーゼ重工の高層ビルにあるから取りに行く」という、社会通念上から大きく逸脱しすぎて理解不能なテロ予告をします。
いちおうなんで毒ガスなのかは後で説明されるのはわかるんですけどね。
でも、「そもそもなんで高層ビルに毒ガス?」って誰だって思うでしょう。
ガスを開発・保管するのはあんなビルじゃなくてさ、薬品工場じゃないのかな。なんであんなビルの一番上に置く必要があるんだよ。佐藤も佐藤で、普通なら薬品工場襲えよっていう話ですよ。
原作だとその社長と秘書が殺害のターゲットにされているため、戸崎と永井が手を組んで迎撃するという流れで、これはあのビルで戦う理由付けがちゃんとなされています。しかし映画版は目的を「ガスの散布」「なぜがビルの上層にあるガスを取りに行く」という、未来永劫地球上に存在し得ない状況で話が進行します。
話の根本からすでに破綻していて、なんか二人の毒ガスの入ったガラスの瓶の取り合いは、「ええ、シュールコントか何かなのコレ…?」と思ってみていました。それでもまあ、アクションはよかったんですけど。
でまあ、その予告を受けた会社の社長がアホの極みみたいな生き物なのも鼻につきました。
たとえばちょっと想像してほしいんですけど、あなたが亜人を実験台にしてめっちゃすごい毒ガスを開発したとしましょう。
それを亜人の佐藤が画像とかソースなしで「あなたは毒ガスを極秘裏に開発してる!」と宣言してネットで噂になったとします。当然マスコミがやって来てインタビューしますよね。
その場合、毒ガスはどうしますか?
普通の脳みそを持った人間ならどこかへ隠すと思うんですけど、映画に出てくる社長はニュース番組で「私が毒ガスなんか作るわけないじゃないですかあ」とほざきながら、
毒ガスが入ったガラス瓶と一緒に映っています。
俺も思い返して唖然としました。認知症なのかなこのおっさん。
さらに佐藤が手を使って転送された直後、圭作戦で麻酔で撃たれた後も、「眠ってる亜人なんて怖くないよ」とかへらへら笑いながら近寄って案の定殺され、きわめて知能指数が低い生き物として描かれています。結果それで手首切り取られて、ガスのセキュリティを解除されます。もう本当に雑。
そもそもですよ。
その東京じゅうに撒けるガスっていうのがなぜかそこの会社にしかないっていう謎設定なのがほんとによくわからない。だって亜人つかって今までにないスゲー毒ガスを作ったのに、それをどこにも売らず社長室に置いておくって意味不明だろ。お前何のために作ったんだよ。趣味か?
レシピをもってる薬品工場にガスなんてなんぼでもあるだろうに。さらに亜人なら別にVXガスだろうと何だろうとかたっぱしから奪ってきて東京じゅうに散布できると思ううんだが、なんでそのガスにする必要があるのかは謎のままである。当てつけにしてもこうりつがわるすぎる。
……そこはそこにしかない、本弘脚本だからな。そうか仮に地球上に毒ガスというものがそこの会社にしか無いということにしておいて、1億歩くらい譲って認めよう、しかしだな。
その毒ガスが1メートル足らずのガラス瓶に入った黄色と赤の少量の液体ってどないやねん。
それくらいだったら全力で毒ガス無効化処理するなり、亜人の黒い幽霊やロケットでも使って宇宙へ放り投げるなり、そもそもビルじゃなくてもっと人のいないところで安全に保管するとかできるだろ。しかもそれがいまどきカードセキュリティもなく、番号入力もせず、指紋でピッてやったらロック解除って。笑っちゃったよ本当に。
戸崎は交渉の前にまずその毒ガスを処理できないか全力で考えるべきだろ。バカなのかこいつらは。
そもそもあのロック解除で出てきた時点では私は、「これはダミーで、なんかのキーなのかな?」と思ったら佐藤が満足したように屋上のヘリポートに行ってしまいました。そこで、どうやらそれがガスらしいということに気付いて唖然としましたよ。そのうえ、それで東京じゅうに撒けるだけの絶望的な量でもないってことにさらにびっくりだったわけです。
そもそも佐藤は実験されてたとはいえ、ガスがどのような形状をしているのか知らないと思うんですが、すさまじいご都合主義の上に成り立ったクソのような脚本を書いた本広の、観客に対する不誠実さがあふれています。
あとヒカキンはどうでもいい。ネット嫌いの本広のおもちゃにされててスゲーかわいそうだった。ヒカキンの人生に消えない汚点を残したことは成功だと思うが。
とまあほかにもいろいろ頭に来るところは多くて、結構厳しい映画だなって思いました。
総評
本広ならではの客に対して不誠実な脚本を、綾野剛の怪演が全力でリカバリーしている作品でした。良作と駄作の間に上中下をつくったら「下作」くらい。人にはおすすめしない映画、それが亜人だと思います。